2016年4月8日金曜日

Vbac日記 陣痛~出産 


ドイツ語もできないのにドイツで出産。
結局、家で18時間、病院に行ってからさらに10時間後に生まれました。

合計28時間の長いお産でしたが、
娘も私もよく頑張った!

病院に言った時点で子宮口が7センチ開いているといわれたものの、
その後がなかなか進まなかったです。

シュタイナー哲学に基づいた割と自然派な病院であったものの、
病院は病院。落ち着かないというのもあったのかもしれないし、
陣痛前の2日間、全然寝ていなくて疲れていたというのもあるかもしれません。

そして、助産師さんたちの間では、
「赤ちゃんとお母さんが旦那さんが到着するの待ってたのよ」と言っていたそうです。

なるほど。それもあるかもしれません。

病院の陣痛室は、お風呂が付いていない部屋になりましたが、
お風呂使うつもりはあまりなかったので影響は出ず。

しかし、天井から下がるロープ、あれは使いそうだなと思っていました。
これもない部屋だったので、助産師さんに聞いてみたら
「安全性にお墨付きというわけではないけれど、何度も問題なくやっているから」
と、布をくくりつけて使えるようにしてくれました。

布、大活躍!
低い椅子に座って、布に頭をのせてぶらぶらしたり、
陣痛の時に体重かけて引っ張ったり、
自分の思うように使っていました。

あと、栄養補給でデーツを食べて、お水をたくさん飲んでいました。

助産師さんが「スペシャルカクテル」と言って、
元気の出るドリンクを持ってきてくれました。
ピーチジュースとホメオパシーのレメディが入っているらしいです。
美味しかった。

陣痛は、思ったよりきつくなく、でも体力は使うのでちょっと焦りだしました。
頭の中には「このまま陣痛が弱くなって帝王切開って言われたらどうしよう」
という恐怖が。。。

これが一番の恐怖でしたね。

でも、なるべく辛くても歩き回り、スクワットしたり。

外にお医者さんが控えていて、助産師さんがたびたび外に出て先生と話しているんだなというのがわかります。

戻ってきた助産師さんが、
「破水しますか?」
と聞いてきたとき、うーん。破水しない方がいいと思う。でも、でも、どうしよう。

迷った結果、ちょっと焦っていたので人口破水してもらいました。
このプレッシャーに負けての自分の決断、ちょっと後悔しています。
私の場合、あまり効果はなかったです、笑。

それから時間がたち、また助産師さんが先生と話した後に、
ドゥーラさんと話していました(ドイツ語で)。

人間は不思議。ドイツ語分からないのに、そのとき、
「あと30分だけ待つ」と先生が言ったということを二人がしゃべっているのがわかりました。

わー、あと30分か、気持ちは焦る。
助産師さんが「陣痛促進剤を使いますか?」と。
私 「いえ、使いません」
ドゥーラさん 「さ、立ってまた歩こう!」と元気に言ってくださいました。

そして、人間の体ってすごい。
立って歩こうとした瞬間、すごい陣痛が来ました。
大歓迎、もっと来て陣痛!という気持ちでしたね。

私の体が、ええい!と頑張っているのがわかりました。

赤ちゃんも長時間よく頑張っている。

赤ちゃんは赤ちゃんのタイミングで来るからきっと大丈夫、と心配はなかったです。
でも、赤ちゃんは頑張って下がってきているのに、この状態で促進剤とか、
帝王切開になるのは避けたかった。

そして、最後の方の陣痛の間に夫と
「I love you」と言ってキスしていたそうです。
後日ドゥーラさんが話してくださいました☆

そういえばそんなこともあったかも、笑。

そしてその後すぐ、かわいい女の子がうまれました!

赤ちゃんは、落ち着いていて、
「よいっしょ、出てきたよ」という感じ。

私の目を見て、その後に夫の顔を見ていました。

えらいえらい、よく頑張ったね。
大変だったね。でも、もうママと一緒だからね。

無事に生まれて、ほっと一息。
カンガルーケアを楽しみました。

しかし、呼吸が少し弱まっているとかで、
酸素マスク?を少し付け、すぐにまた元気に夫に抱かれながら夫を見つめていました。

出産って不思議、この子を産んだ後に、
また赤ちゃん生みたいって分娩室で思っていました、笑。

後陣痛?も全然なくて、幸せホルモンであふれていました。

会陰の傷は自然に治るのを待つとのこと。
でも、痛かった、笑。
最後焦ったので、無駄にいきんでしまいました。

大変だったけれど幸せなお産でした。
ドゥーラさんの存在が本当に大きかったです。
もし、波長のあるドゥーラさんが見つかれば、ドゥーラさん本当におすすめです。

Vbacしてよかった。
でも、もしも万が一次回があるとしたら、できれば病院じゃなくて自宅がいいなと思います。



2016年4月3日日曜日

Vbac日記 陣痛編 家~病院☆ 


もう記憶がかなり薄れてきています。。。

ドイツでVbacした時のことを少しずつ書いていこうと思います。

まずは、陣痛編☆


長男の時は、予定日前で陣痛も経験することのないまま、
いろいろと理由を(こじ)付けられて帝王切開になってしまったので、
今回が初のお産のようなものでした。


●日曜日:

吐き気とお腹の調子が悪くてほとんど眠れず。微熱もある感じで、風邪なのかなぁと。
週末ドイツにきてくれていた夫が、心配しながら仕事でギリシャに戻っていきました。
この体調の変化は、もしかしたら陣痛の始まる準備なのかも?と少し感じました。


●月曜日:

病院で鍼担当の助産師さんに鍼を打ってもらう。15分くらいだったかな。体調がいまいちだったんですと告げるとあららー今この時期に、と。
     
その後、たまたま妊婦検診担当の助産師ソニアさんとのアポがありました。
超音波を使わずに手で赤ちゃんの状態を見てくださいます☆
もう、ソニアさん大好き☆
妊婦検診、最初はドクターとだったのですが、助産師さんとの検診の方がなんと密で豊かなことだったか!2人のお医者さんに聞いて「謎だわ、こんなの見たことないわ。わからないわ」
と言われた私の皮膚の症状が、彼女に聞いたら
「あー、ちょうちょみたいな形の痣ね。これはね、出産するとすぐ治るのよ」と。
きっとそうだろうとは思ったけれど、本当に出産後にすぐ治りました。

この日は予定日1週間前の検診だったので念入りに、
骨盤内のツボをぎゅーっと押して筋肉を柔らかくしてくださいました。

そして、私の症状にあったホメオパシーのレメディを2種類くれました。
ばっちり合ったようで、熱っぽさやだるさはなくなりました。

●火曜日:

月曜日の深夜から、あ、これが陣痛?定期的に来ているよ?
ということで、またまた眠れない夜を過ごします。

でも、こういう陣痛で1週間過ごす人もいるからと、少しのんき。
一応、朝には夫に「陣痛みたい」と連絡し、ドゥーラさんにもこういう間隔で陣痛が来ています。
と連絡を入れる。
人と会う約束があったのですが、街にはいかない方がいいなと思い、キャンセル。
お友達が突然立ち寄ってくれましたが、話しながら時々
「あ、ごめん今また陣痛来た!」と会話が止まることも。

私は覚えてなかったのですが、その友人が
「なんでもうすぐ生まれるってわかってたの?」と。

彼女は数日前に私が火曜日か水曜日かに赤ちゃん生まれるかもということを話したと。
そういえばそんな話をしました。

なるべく家で粘りたかったので、息子と遊び、息子は陣痛中に突っ伏す母を見ながら
何かが違うと感じ、おっぱいおっぱい!とねだり(泣)、陣痛中に授乳してました・・・。
お産が進んでいいよね。うん、妹はとっても芯の強い子になるね、きっと、と思いながら。

息子がお昼寝中にシャワーを浴び、破水もおしるしもないので、
もう少し粘る。

陣痛中にともそうと思っていたビーワックスの素敵なキャンドルは、
全然ともす余裕なかったです、笑。(赤ちゃんがうまれてから、夜中の授乳時に使っていました。)

最初の陣痛が始まって18時間後くらいに、
出血があったのと、陣痛もきつくなってきたので、
ドゥーラさんに病院に向かうことを連絡してタクシーを呼びました。

((そういえば、午前中から周りの人たち(一応みんな経産婦!)から
「今すぐ病院に行け」と言われました。
なんでみんなそんなにうるさいのかしら?いやいや、まだ早いと私は思いました。
病院に行ってどうする?リラックスできないし。自分で行くべきタイミングはわかるから、
そっとしておいてーっと思いました。ドゥーラさんだけが、私の「今はまだ」「今行きます」というタイミングをリスペクトしてくれました。))

夫は朝連絡した時から飛行機の手配をしていたそうで、
でも夜の便しかなく、夜向かうとのことでした。

息子と、息子をみてもらうお願いをした人と一緒にタクシー。

助産師さんに、タクシーで来るときは「陣痛なんです」と言っちゃだめだよ。
それを理由に(生まれたり破水されたら困るとか)断られることもあるからと言われたのを思い出して、何も言わずクールに過ごす、笑。

病院に着くと、思わず入口のドア前で突っ伏してしまう。。。
息子がママー!と心配そう。
他の人たちもあらあら、お母さんもうすぐねという顔してみています。

やっとの思いで入口に入り、ロビーのおばさんが手を振っています。

やった、やった、車いすで運んでくれる!!

と思いきや、

「こっち、こっち、右曲がって突き当りまで言ってエレベーターで上に上がって!」

そ、そうだよね。妊娠は病気じゃないものね。歩くのは、陣痛にいいんだよね、
うんうん、がんばる。がんばるー。ちょっと遠いけど、がんばるよー。

と心の中でつぶやきながら。

陣痛室のある病棟の前に来た時に、息子にお別れを告げないといけません。

これが一番、なんとも辛かった。

早く夫にきて欲しい。

息子をみてもらうお願いをした人は、快諾してくれたはずなのに
いざ私が陣痛になったらビビってるし、
「あなた、いつ帰ってくるの?どうすればいい?メールして」という。

頼りないぜ。

でも、息子はきっと大丈夫。
私と離れて夜を過ごすことなんて初めてだけど、大丈夫。
息子に愛しているよといって、むぎゅっとして、キスをして、ママ頑張ってくるねと陣痛室に向かいました。
夫に息子といてほしいと思いました。

陣痛室で、結構待った気がします。

若いドクターが来て、検査をしたら

「まぁ!あなたもう7センチなのね!素晴らしいわ!もうすぐ赤ちゃんに会えるわよ!」

陣痛中、なんとか自分と息子の支度をして病院に来たので、
変な服で来てしまいました。

それが少し悔やまれます、笑。

自分の好きな服で陣痛を過ごせれば尚よかったです。


次回に続きます。













     

2016年2月11日木曜日

持ちつ持たれつ


もう2月ですね。
12月に書いて、アップし忘れた記事。。。↓

実は突然国際引越ししたので12月1月は忙しかったー!



いろいろあって、怒涛の日々を送っておりました。
睡眠時間は2時間くらいかな。。。

やっと今日落ち着いたのですが、子供たちが静かに寝てとても平和な時間。
私も寝るべきなのですが、最近寝ていなかったからかまだ眠くならず。

なのでブログを書くことにしよう☆


まだ割と忙しい最中なのですが、
乳幼児を抱えての作業はなかなか大変なことがあります。

海外生活、海外出産、日本の家族や義家族から離れての生活。
初めての子育て。
頼れる家族や親せきのいない生活。

でも、何とかやってきて二人目も出産できたのは、親切の手を伸ばしてくれる人がいて、
その手を受け止めている自分がいるから。
でも、その手を素直に受け止めるのって、慣れていないせいかなかなか時間がかかりました。


上の子を産んだ時、少し離れた町に住んでいるお友達が病院に電話をかけてきて、
「退院日はいつ?手伝いに行くよ」
と言ってくれました。

初めての出産、育児。
何が待ち受けているのかもよくわからない状態で、
「ありがとう、でも夜は夫もいるし大丈夫」と答えるものの、
「朝の9時頃から午後までいれるよ。家の事手伝うよ」
(内心、そんなにいてもらっても困るなぁと思いながら、
押しに負けて!?来てもらいました。

でも、手伝ってもらうことに慣れていない私は、
用事を頼むのも下手。
でも友達はそれを見抜いていたのですね。
さすが、3児の母であり子育ての大先輩!
結果、どうしても人手が必要な場面に出くわしたので、来てもらって本当に助かりました。

上の子を産んだ時は、近所のママが、自分のお手伝いさんを1時間x1週間
私のところに「プレゼント」してくれたりもあったなぁ。

でも、人に家事などを頼むのを慣れていなかった私。

その近所のママのお母様が立ち寄ってくれ、
「ほら、お風呂掃除とか、野菜の下ごしらえとか手伝ってもらうといいわよ」と
アドバイスまで頂きました☆
なるほど、クレタでは野菜の下ごしらえなかなか時間がかかるので、
泥を落として洗ってもらったり、野菜の皮をむいて切りものしてもらうだけでも相当時短になる。

一人目は帝王切開だったし、赤ちゃんのお世話と簡単な料理、
洗濯以外はほとんどしなかったので助かりました。

でも、人に頼むのを慣れていなかったので、逆に気を遣ったり、
お茶とお菓子をお出ししたり、
「あ、これは私がやるから大丈夫!」といって大変な仕事は自分でやってしまったり、笑。

でも、要領よくアウトソーシングして、自分と家族のために
より質の良い時間を作る「賢さ」も必要なんだなとその家族を見て学んだり。

最初にこのような親切の手を差し伸べられてから約2年半で、
私もその親切の手の受け取り方が分かってきました。
その間、自分が差し伸べることもあったりして、その時に気づきました。

本当に助けになりたいと純粋な気持ちで手を差し伸べているんだなって。
自分が差し伸べるときに、ただただ力になりたかっただけで、
別に社交辞令でもないし、見返りも何も求めていない自分に気づき、
あぁ、あの時親切にしてくれた他のママたちも、同じ気持ちだったんだなと気づきました。

母親同士、戦友のような意識というか、
大変なのはわかるから、素直に助けになりたいと思うのですよね。

ドイツから帰ってきてから、
「〇〇(←うちの2歳児)を公園に連れて行って
私の子どもたちと一緒に2時間くらいみるよ!
明日の9時頃はどう?」

と聞いてくれるお母さん友達がいて、
「ありがとう、是非お願い!」
とお願いしました。

私も、親切の手を差し伸べるタイミングとか、これからもっと洗練されていくといいな。

素晴らしすぎるお手本となってくれるお母さんたちが周りにいて本当に感謝です。

2015年12月1日火曜日

Vbac無事に生まれました☆


またまたお久しぶりの更新。

前回の投稿から約1週間後に元気な女の子を出産しました!


2人目で、上の子がまだ2歳ということもあり、
なんだかバタバタしているうちに出産でした。


上の子は病院側の理由で帝王切開だったので、
今度は普通に産みたい!という気持ちが強かったです。

そして、実家から離れての海外生活。

帝王切開だったら、元気すぎる2歳と新生児を同時に相手するのは辛過ぎる。。。
という切実な問題もありました。


Vbac(帝王切開後の経腟分娩)はリスクもありますが、
いろいろと調べて納得してのチャレンジでした。
一人目は陣痛も体験しなかったので、今回はほぼ初産のようなものですね。

妊娠初期は、Vbacについて調べると、特に日本の情報だとネガティブなものが多く、
怖くなったりしました。アメリカの情報も場所や派閥?によっては怖くなるような情報が多く、
イギリスだとましになったり、ドイツだと病院の先生に「帝王切開も1回だけだし、
何であなたが普通に産めないの??」と、逆に不思議がられたり。

Vbacの捉え方や風当たりも所変わればだなぁと。

妊娠中期、後期になると、もうVbac(というか、子宮破裂など)への恐れはなくなり、
自分の体と直感を大事にできました。
もちろん、「もしかしたら」があるので、
今住んでいる所は救急車が1台しかないところなので、
少し考えていた自宅出産はリストから削除。

結果、ほぼ希望通りに近い、満足のお産でした!
痛み止めや促進剤などを使わない、自然出産でした。
胎盤ももらって帰りました(ぎょっとされそうですが)。

Vbacは私の住んでいる島ではほとんどレアなケースなことと、
万が一の時のNICUが車を飛ばして3時間(しかも評判は。。。)なこと、
日本で里帰り出産の予定でしたが、家族が長い間離ればなれになること。

こういう理由でドイツでの出産となったわけです。


里帰り出産が一番いいのではないかと思っていた私も、
結果、私が夫の存在にすごく支えられていることを実感し、
ドイツは公共の乗り物や公園がとてもよくて、息子にもいい環境で
良かったなぁと思います。

もちろん、書類手続きなどは面倒です!

でも、ギリシャではないので(苦笑)。
一応、ちゃんと対応はしてくれますし、人によってはすごく雑な対応もあったし、
やっぱり戦わなければいけない場面もありましたが、
こちらで揉まれてきた分?!強くなっているので大丈夫でした、笑。

赤ちゃんはドイツで生まれ、パスポートが無いとギリシャにも帰れないので、
まずは生後6日で写真撮ったり手続きに行ったり。

夫の努力のお蔭で割と早くパスポートが出来たので、
生後4週目でクレタに帰ってこれました。

ドイツには2か月の滞在でした。

ゆっくりまた、ドイツでのこと、Vbacのことや、ナチュラルなお産のこと、
戦わなければいけなかったこと、など続きを書きたいと思います。


2015年10月15日木曜日

お久しぶりの


ブログをなかなか更新できず、忙しくしていましたが、
現在、第二子を妊娠中で、
無事に生まれてくれればこの冬に会える予定です♪




あーーー、息子が呼んでいる。。。

ということで、また更新できるときにします☆

2015年9月11日金曜日

子どもたちとの夏


今日から学校も始まり(息子はまだまだですが)ました。




8月は子どもたちがたくさん遊びに来たり(家に7人くらいの子どもが遊んでいたり!)、
友人兄弟(小学生)を5日ほどお預かりしたり、賑やかな夏でした☆

忙しかったけど、息子にとっても良い刺激!

友人夫婦の兄弟は、親元を離れて初めての長期外泊。
でも、そうとは思えないほどくつろいでいて(笑)、注文も多いし、口は達者だしで、
なかなか勉強になりました!
兄弟で食べ物の好みも違い、料理もなかなか考えましたよ。

他の人に失礼なことを言ったら、やっぱりその場で注意し、
公共の場で騒ぎ出したら、やっぱり注意しました。
そして、家にいるときはうちのルールに従ってくださいと。

育児大先輩に「これから、17年はずっと疲れるわよ、笑!」と言われたけれど、
きっと本当なんだろうなぁ。言葉も通じる、分別の付く小学生になっても、
躾なりケアなりいろいろと大変なんだなぁと垣間見たひと時。

でも、簡単で失敗のないココナッツマフィンを一緒に作ったり、
彼等はお菓子作り初めてだったみたいで、
オーブンの中で膨らんだマフィンをみて目が輝いていました☆

そして、私のために特別にデコレーションしてくれたり♪

その気持ちが嬉しかった♪やっぱり可愛いですね☆

一緒に海に入ったり、ボーリング行ったり、図書館に行ったり、
ハニアの港からボートに乗ったりと楽しく過ごしました。

しかし一人で子ども3人連れて海に行くって、なかなか荷物も多いし大変ですね!
海にいる間は楽しいけれど。

帰りは車も砂だらけ、家に帰ってからのお風呂の順序とか、
水着は自分でまず砂を落として下洗いしてね、
といっても全然落ちてないし、苦笑。

複数子どもがいるお母さんたちを尊敬☆

数年住んでいて、一度も乗っていなかったハニアからのボート。
子どもたちのお蔭で良い機会でした!


ボートの底がガラスになっていて、キャプテンが潜って魚に餌付けしてくれます。


こんにちわー




Captain Nickというボートにしてみました。

子どもたちに(息子はまだちょっと早いのでやりませんでしたが)
ボートの操縦体験をさせてくれたり、ウニ、ヒトデ、ナマコ、タコなどを
キャプテンが海から獲ってきて、優しく扱いながら触らせてくれたり。
記念撮影したり。

ボートからスノーケルで無人島のビーチまで通常行くはずが、
泳げる人がとても少なかったためか、
今回は無人島まで行けず!それが残念でした。
泳げない人用にゴムボートがあるみたいですが、たぶん収容しきれなかったのでしょうね。

ボートは無人島の沖にとまり、私は足ひれだけ着けて
久々に一人で泳ぐひと時を満喫しました!

夫と一緒に来てよかった―。夫が息子をボートで見てくれて、
私は海でスノーケルに挑戦する子供たちの同伴をしたり。

泳げる人はなかなか楽しめると思います。



2015年9月7日月曜日

難民 移民 ギリシャに生活していて感じること



小さな男の子の悲しい写真が世界に衝撃を与え、日本でも一気にシリア難民の話題が取り上げられているようですね。

4年前に初めてクレタ島に来た時に、街中にリビアの人たちがたくさんいました。
アテネに用事があって泊まったホテルにもリビアの人たちが子供を含めて滞在していたなぁ。
タクシーの運転手さんが、このホテルは政府と難民受け入れの契約をしてるんだよと言っていたのを思い出します。

カダフィ政権が崩壊した今は、リビアの人を島であまり見かけません。まだここのどこかに住んでいるのかもしれないけれど。

中近東、アフリカはクレタ島の目と鼻の先。
ヨーロッパの玄関口のギリシャにいると、日本にいた時は遠いところの話だった世界情勢が本当に身近に感じます。カダフィ存命時には戦闘機が飛んでいたり、今はシリアなどからの難民・移民がたくさんやってきたり。

ギリシャの島には毎日のように難民船、難民ボート(ゴムボートのようなものまで)にのって難民、移民がやってきます。

去年の冬は、地中海にたくさんの難民船が沈み、何千人という人がなくなりました。
難民になるのは「お金」がいります。
難民を仲介・斡旋する闇業者にたくさんのお金を払い、ヨーロッパに希望を求めてやってくる航海の中で船に閉じ込められたまま亡くなった人たち。冬の荒海では絶対に航海できないようなボロ船に乗せられて命を落とすなんて、、、酷すぎる。

またこの冬も悲劇が繰り返されるのではと心配する気持ちと、人の命を大事にせず、人の弱みにつけこみお金を儲ける人たちを悲しく腹立たしく思ったり。


クレタの街で、実際にシリア難民の人たちに会い、話したことがあります。

私が会ったのは、1年ほど前にやって来た彼女たち(女性だけ残っていて、男性陣はドイツなどの先進国へすでに渡航成功済。女性と子供たちは呼び寄せ、渡航の成功待ち、といった状態)。

難民にも格差がとてもあることを痛感しました。

彼女たちは、シリアでも裕福であったと思われるし、1年前にクレタに来れたので、今まで難民として無料でホテル暮らしが出来ています。しかし、ギリシャ政府・自治体がそのホテルに払うはずのお金をなんと1年も払っていないそうで(それもひどい話です)、最初はとてもよくしてくれたけど、最近は扱いが冷たいと言っていました。

コス島などは難民たちが非常に多いので、ほとんどがテントや路上暮らしではないでしょうか。

彼女たちのお父さんやお兄さんは、あの手この手でドイツや北欧諸国へ渡り、すでに仕事を得ているようです。また、シリアから全財産持ってきたので、それでノルウェーに既に家を建てたという人もいます。逞しい!

ゴムボートなどでやってくる人は、荷物は本当に最小限で、航海の途中でお金でもなんでも、海に捨てなければならない状況もあるでしょう。命を守るために。

彼女たちはスマホを持っていて、それで離ればなれになった家族と連絡を取り合っています。クレタに着いたばかりの難民たちも、周りからドイツの良い話を聞いて知っているようで、「早くドイツに行きたい」と言います。そうだよね、ギリシャにいても仕事できないから生活が難しいものね。。。

徒歩で国境を渡ったり、ドイツを目指す難民たちがニュースで取り上げられていますが、裕福な難民・移民たちは偽造パスポートを作って、何度も何度もドイツなどへ渡航を試みます。地元のニュースでは、「クレタの●●空港で偽造パスポートを使って渡航を試みたシリア人、アフガニスタン人の男女を拘束しました」という記事を見ない日はありません。

なかには6回以上試みてやっと渡航に成功できたという話も聞きました。女性はベールを取り、金髪に染め、カラコンを付けて変装して成功!みたいなこともあるそうです。

良い悪いはおいておいて、本当にこれは資金があるから成せる業。

難民や移民の格差が本当に激しくて、何とも言えない気持ちになります。


資金のない人たちは、幼い子供や老人を背負って、国境付近で催涙スプレーをかけられながら、この暑い夏の国境越えです。



そして、シリアの人たちよりも大変なのが、アフリカからの難民や移民。
肌の色などで、金髪碧眼でヨーロッパ人に変装するのは無理。どうしても目立ってしまうので、
歩いて国境越えを目指すのは夜のみ。コソボなどを通って、西側を目指すそうです。

いわゆる経済難民と言われる人たちは、だいたい母国に仕事が無いために、不法移民あっせん業者の言葉に騙されて、村や土地を売ってヨーロッパに来たのはいいがそこはギリシャ。

母国の紛争から逃げてきたわけではないので難民認定も受けられず、書類に問題や不備があるためにギリシャ国外にも出られず、仕事はあるが悪条件過ぎる誰もやりたがらない仕事を低賃金で。

家を仲間と借りたくても、黒人であるがゆえに貸してもらえず、路上や空き家に住む生活。お父さんが、家畜と土地を売りはらってヨーロッパに自分を送ってくれたのに、仕送りもほとんど出来ず申し訳ない。。。。という状況。


ギリシャの野菜は安くて喜んでいましたが、生産スピードを上げるための夏の温室栽培など、過酷な条件下でこういう移民の人達が働いているのを知り、愕然としました。そういえば、何年か前に、イチゴ農家で働いていたパキスタンだったかバングラディッシュの人たちが、6か月間も滞っていた給料の支払についてオーナーに話に行ったら銃で撃たれたというニュースもありましあt。



シリア人であれば、本当に戦火から逃げてきた人でも、良い暮らしを求めてやって来た人でも「難民」の認定がされやすいので、ほんとうの難民の間に良い暮らしを求めてやって来た「経済難民」も含まれていたり、ISの戦闘員も紛れて送り込まれていたりとか。。。
こういうニセ難民のお蔭で、他の国が受け入れを渋ることになったりして、なかなか難しい。


全員がドイツなどを目指すかというと、身近にクルド系のシリア人の家族で、こちらで手に職を得て、立派に生活している人たちもいます。本当に、いろいろな人たちがいます。


そして、難民になれずにシリアに留まっている人たちがいることも忘れられません。。。


命にかかわることだったら、マフィアでもなんでも利用して生き抜いてちょうだいとも思うけれど、慢性的な職不足や経済難の国で移民のあっせんをする悪徳業者には騙されないでとも思う。それで命を落としたり、母国よりも悲惨な生活を強いられている人たちが実際にいるのですから。


自分に何ができるんだろう。。。

知ること、興味を持つこと、発信すること。

今は暑いですがこれから寒くなるギリシャ。難民が毎日到着するコス島には、いくつか物資を集めている団体があるので、冬服や毛布、子供用品、衛生用品などを送ろうと思っています。


なんだかいつももやもや思っていたことをそのまま出した、とりとめのない文章で失礼します☆